中野 この夏、NYに行った時に、ヴィレッジ・ヴァンガードでクリス・ポッターのライブを観ましたよ。もの凄く良かったですね。超満員でした。たまたま30分くらい前に会場前に着いたら、もう人が並んでました。
四浦 中野さんが観たのはクレイグ・テイボーンが参加した、例のベースレスのやつですよね。あのグループのサウンドってめちゃめちゃNYですよね。このバンドの音って決して時代の先行くものではないんですけどかっこいい。
中野 たしかに気をてらった感じはないですね。でも、今のジャズを感じました。
この夏NYで見たクリス・ポッターのライブ開演前の様子。
その時のクリス・ポッターのライブ風景。四浦 クリス・ポッターって、常々新しいことをしようというよりは、ひとつのムーブメントを見つけるとそこで自分のサックスの技量を試すというか。中野さんが観た時のギターはアダム・ロジャースだったと思うんですが、このバンドでギターを弾くこともあるウエイン・クランツやデビット・ビニー(代表作『バランス』)らが確立した一つのジャンルというかムーブメント上に、クリスのバンドもあると思います。今、ジャンルと言いましたが、ジャズという音楽も、より細分化している現状を踏まえて、ロックみたいに細かくジャンル分けをしていけばいいと思ってるんですよ。
『バランス』四浦 ところで、昨今のファッション・トレンドに80'sリバイバルがありましたけど、音楽だとロックというかポップスにもその流れが来てましたよね。キャッチーなメロディーや独特のビート感といったあのエレクトロのイメージですが、なぜジャズにこの流れが来なかったのだろうと。よくよく考えるとジャズだけは70年代に電化って終わってたんですね。
中野 70年代にエレクトロブームがあって、フュージョンの時代がありましたね。
四浦 はい。では80年代にジャズは何をやっていたかというと、アコースティックに戻ってたんです。
中野 新伝承派って言われた流れですよね。
四浦 そうです。70年代に電化したハービー・ハンコックがまたアコースティック・ジャズを始めて、その流れで新伝承派としてブランフォードとウィントンのマルサリス兄弟が登場したり、新生ブルーノート・レーベルが誕生したり。ジョー・ヘンダーソンが復活して大活躍しました。かっこ良かったし、本当に凄かった。ジョン・スコフィールドはジョー・ロバーノとカルテットを結成してアコースティック・ジャズに取り組んだし。完全にメインストリーム・ジャズが復興したわけです。そんな80年代後半から90年代はじめのジャズ・シーンを当時、学生だった子たちは目の当たりにして、ジャズってかっこいいと本気で思うようになってたと安易に想像できます。そんな世代にジョシュア・レッドマン等がいたわけです。彼は91年のセロニアス・モンク・コンペティションで優勝して注目を集めたんですが、その時の2位がエリック・アレキサンダー、そして3位がクリス・ポッターなんです。
中野 そんな彼らが今のジャズの牽引役を担ってるってことですか。
四浦 はい。この時期のボストンは、ジャム・セッションをすると必ず凄い人が集まってくるという、あたかも50年代のNY、52丁目みたいな雰囲気があったと聞いてます。ジョシュアもボストンにあるハーバード大学の学生だったので、ジャム・セッションにも顔を出していたようです。もちろんその少し前の世代のバークリーやNECを卒業しているミュージシャンたちの中にも凄いプレーヤーたちがいたわけですが。そんな彼らが目指すのはもちろんNY。NYにはたくさんのクラブやライブ・ハウスがあるわけですが、特に90年代前半はニッティング・ファクトリーというライブ・ハウスが活気づいていました。ここは元々パンクなどをやっていたハコなんですが、ジャズにも開放するようになって、様々の世代のミュージシャンが演奏し始めるんです。
中野 そのライブ・ハウスはどの辺にあるんですか?
四浦 ロウアー・マンハッタンです。ミュージシャンを含めた芸術家が多く住むブルックリンという地域がありますが、そこから橋を渡ってすぐのマンハッタンのエリアです。ニッティング・ファクトリーは、とくに前衛というか正に時代の先行く音楽家の発表の場になっていました。アンドリュー・ヒルやM-BASE派もここで活動していました。もともと70年代終わりのロフトとかのフリー・ジャズの延長線上の世界観がここで繰り広げられていたみたいです。もちろん老舗のバードランド、ブルーノート、イリディウム、ヴィレッジ・ヴァンガードなどもあったわけですが、コアなミュージシャンや若手の活動の場としてはヴィジオネイズやオーギーズ、ジンク・バーにコーネリアス・ストリート・カフェなどほんとたくさん店がありました。ニッティング・ファクトリーは今でもあるんですが、90年代末を境にあの頃のようなジャズと密接した店ではなくなっています。特にユダヤ系のミュージシャンたちがトニックという店に活動を移すようになるあたりからでしょうか。
中野 何が原因でニッティング・ファクトリーを離れ始めたんですか?
四浦 NYで毎年6月に行われるJVCジャズ・フェスティバル。それと肩を並べるほどになったニューヨーク・ジャズ・フェスティバルをニッティング・ファクトリーのオーナーが開催していたころまでは良かったんですが、オーナーがより商業主義に走ってしまったのが原因みたいです。ところで先ほどお話しした若手の活動の場にもう一つスモールズというお店がありまして。ヴィレッジ・ヴァンガードの下の方、昔のスイート・ベージルの近くなのですが。ここからはあのブラッド・メルドーが登場してきました。NYの市立の音楽学校であるニュースクール出身のメルドーやピーター・バーンスタインたちはここをジャズ研の部室のように使っていたらしいですね。そこには壊れた冷蔵庫があって、その中で夜中にいくら音を出してもいいということで。
中野 肉とかを吊り下げて入れているようなデカい冷蔵庫ですね。たしかにあれに入れば音はまったく漏れないですね(笑)
四浦 そうです。もうひとつコロンビア大学の近くには昔のオーギーズ、現在のスモークという店があるんですけど、ここにはさらに硬派なジャズをやる人たちが集まっていました。エリック・アレキサンダー等はここを根城として演っていきました。そんな若手たちが日々練習、実演を重ねる場所に、ベテラン・ミュージシャンたちがきてメンバーをつまんでいくという日々があったんでしょうね。ジョシュア・レッドマンなんかは、NYに出てきたボストン勢だけでなく様々な場所から集まった有望な若手とスモールズなどでセッションするようになって交流を深め、ひとつの世代を築き現在に至るわけです。
中野 今の日本で言うとところの、アラフォー世代ですね(笑)
四浦 '92年当時で23歳くらいの人たちなので、ちょうど40歳ってところですね。その世代の層の厚さは圧巻です。そうとう濃いです。自分としてはとてもラッキーでしたね。チャーリー・パーカーやマイルス・デイヴィスが活躍していた時の熱気に近いようなものを感じつつ彼等をリアル・タイムで見聴きできたのは。それぐらい、凄いミュージシャンが次々に出てきた。でもそれが9・11以降変わってきたんですよ。テロの影響でミュージシャンが多く存在するのに活動の場は縮小されて。それで主要なミュージシャンがNYを離れることが多かったですね。そういった現状の中でも次々と新しいミュージシャンは学校を卒業してくるわけで、その中からこれからのジャズを担う新しい世代が出てくるということです。お笑いには第○世代とかいう言い方があるじゃないですか。NYのジャズ・シーンの流れもそれと近い感じだと思うんですよ。世代もありますが、活動地域による分類といいますか。アッパーやローウアー・マンハッタンにブルックリンとかあるわけで。
中野 確かにお笑いの相関図に置き換えて見ると面白いかもしれないなぁ。バークリー出身は吉本のNSC出身みたいな(笑)ブルックリン派という言い方がありますけど、日本で使われてる解釈と違うみたいですね。
四浦 ブルックリン派といった時に、どれを指しているかというのはその言葉を使う人によりますね。僕らはいわゆるメインストリームを余裕でできるんだけど、それをいかにやらないで新しいことをやっていこうかとしている人たちをブルックリン派と呼んでいますし。逆に全然ジャズができなくてアバンギャルドばっかりをやってる人たちのことを指す人もいるので。メインストリームにも本当に伝統芸能継承派みたいな人たちがいると思えば、ジョシュアやメルドーやカート・ローゼンウィンケルみたいな人達もいますよね。メインストリームであるのにもかかわらず新しいことをしているっていう。とはいっても、本当は彼らがメインストリームなんですけどね。ジャズってもともと、新しく進化してくのが本道だから。
中野 僕はその辺りを最近は好んで聴いてます。で、思うのが、ジャズをやる人にも演奏家と音楽家がいるんだろうなぁと思ってて。今も伝統芸能みたいなジャズをやっているのは演奏家なんだろうな、と。いかに演奏を聴かせるかに重きを置いてるというか。対して音楽家はいかに新しい要素を取り入れてジャズを進化させるかに重きを置いてる。乱暴な分け方ですけど、そういう分類が自分の中で出来てきました。もちろん、善し悪しの区別はないんですけど。
四浦 それは判ります。アバンギャルドなことしてても深みがないのは演奏家なのかもしれないし、同じようにアバンギャルドなことやっててもめちゃくちゃ音楽的にしっかりしてる人たちは音楽家なのかもしれませんね。