今年で御年84歳を迎える長老ジャズドラマー、ロイ・ヘインズ。そのステージをブルーノート東京で観た。正直、歴史に名を刻む巨人なので生でその御姿を見とかなきゃぐらいの気持ちでさほど演奏には期待は寄せていなかったのだが、想像以上のパワフルなドラミングに驚愕してしまった。本当に80を超えているのか。数分にも渡る長いソロをその歳で聴かせるのが驚く。しかも演奏後、前列に座ってる女性客に話しかけ、自ら進んで抱擁してた。本当に80を超えているのか。ちなみに他のメンバーは、マーティン・ベヘラーノ(p)ジャリール・ショウ(sax)デヴィッド・ウォン(b)と、新進気鋭の若手で固められている。女性客と抱擁はしなかったこの3人は不勉強ながらいずれも初聴きだったが、ピアノのマーティン・ベヘラーノとサックスのジャリール・ショウの柔軟なプレイに魅せられてしまった。今後、要チェックだ。で、このアルバムはリーダーのロイ・ヘインズが30代半ばのノリにノッてる時の代表作。ローランド・カーク、トミーフラナガンらとスリリングで熱い演奏を展開している。必聴。
渋谷にあるJZ Bratで山中千尋ライブを観た。須川崇志(b)田中徳崇(ds)と初組み合わせの3人。選曲は新旧取り混ぜた楽曲で、中には『アウトサイド・バイ・ザ・スウィング』で演ってた「クレオパトラの夢」に、この『Madrigal』に収録の壊れた「学生時代」を割り込ませたりしてファンとしては楽しすぎ。彼女の作品の中でもこの『Madrigal』は個人的にはかなりの愛聴盤でこれまで何度聴いたことか。あまりにも好きなので、ユニバーサルレコードで番組出演の事前取材をした際、レコード会社が違うにも関わらず(このアルバムは澤野工房)傍若無人にもサインを貰ってしまった。とにかく"山中千尋ジャズ"の面白さが詰まった一枚。個人的にはやはり「School Days(学生時代)」がツボ。この壊れ方にとても惹かれる。
ブルーノート東京で、マデリン・ペルーのライブを観た。カントリー、フォーク、ブルースなどのアメリカ・ルーツ・ミュージックの要素が満載。その割りにはフレンチな雰囲気もまとってたりしてマデリンならではのステージだった(関係ないが、帽子を被って登場した彼女はその形からずっとボーイジョージに見えて仕方なかった)。これは彼女が1996年にリリースしたデビュー作。この作品で"21世紀のビリーホリディ"と讃えられた彼女だが、存在というよりはその歌声がビリーホリディっぽいのだ。アルバムとしての作品性もまだ荒削りだが、マデリン・ペルーという才能の"可能性カタログ"という意味合いで興味深い一枚。最新作『ベア・ボーンズ』では途端に貫禄がつき、ぐっとオリジナリティが色濃く出た。今後とも追い続けるだろうボーカリストの一人。
93年にセロニアス・モンク・コンペティションで優勝し、注目を集めたジャッキー・テラソンだったが、その後、さほど大きな話題になることなく、そのうちブラッド・メルドーやロバート・グラスパーなど次々に新進気鋭のピアニストが登場して地味な存在に追いやられてしまった感がある。先日、コットンクラブのライブを観て大感激。すっかりコンテンポラリーに様変わりしている彼の演奏に驚いた。「キャラバン」「ラウンドミッドナイト」「セントトーマス」など超スタンダードを分解して、まったく新しく再構築。まるでリフォームの匠だ。Ben Willams(b)、Jamire Williams(ds)と共に三位一体となって脈打つような演奏にすっかりヤラレてしまった。で、帰宅して早速、引っ張り出して聴いたのが、この作品。ジャッキー・テラソン・トリオの演奏ではないが、ヴァイブのステフォン・ハリスとのダブルネームのこのアルバムは、テラソンがハリスに触発されてスリリングな名演を展開。正直、これ以外に心に刺さったトリオ作品をすぐには思い出せなかったのだ。でも今後の彼の動向には注目したい。ライブ盤を出せばいいのに。
キューバ出身のピアニスト、オマール・ソーサ。その来日ライブをブルーノート東京で観た。ベースのチルド・トーマス、ドラムのフリオ・バレット、そしてボーカルも担当しつつ、いくつもの民族楽器を奏でるモラ・シラで構成されたアフリーカノス・カルテット。元々が民族音楽好きでアフロビートが大好物なので一瞬でハマってしまった。ラテン・ジャズとカテゴライズされてるようだが、アフリカや中近東など多国籍な音源が満載。とにかく個人的にはオマールのパーカッシプなピアノ・タッチが思いっ切りツボ。先日、知り合いのジャズ評論家の方から勧められるまで知らなかったのだから我ながら見聞が狭い。このアルバム『スピリット・オブ・ザ・ルーツ』は99年録音だが、まさに音楽的ルーツは不変。長らく入手困難だったらしく、ライブ会場で貴重な感じで売られてたが、ネットで調べると簡単に手に入るみたいで何か損した気分。損はしてないんだけど。どうでもいいことだが、この「オマール・ソーサ」、つい"便器の皿"と訳したくなるのは自分だけか。ま、自分だけだ。